子ども時代の習い事とは

「学校」ではさまざまなことを学ぶことができますが、それは誰もが経験したように学校で学べることをどれだけマジメに習得しても、社会に出たときに何もかもがうまくいくわけではありません。

子どもであるときにどのようなことを経験し、何を感じ、何を考え、将来に対してどのようなことを夢想していたのかということが「人」を形成します。子どもの頃教わる「道徳」は、私たちが「何を正しいとするか」までも規定しようとするものでした。ですが、それはある意味人と関わっていくために必要なことでもあり、誰かに迷惑をかけない、人に優しくするということをすべての人が実践すれば社会はよくなるはずだということです。そして、実際に道徳教育が発達している日本では、教育が整備されていない国々よりも治安がいいのです。

そのように「人」の根幹を形成する大切な「子ども」という時期にどのような習い事をするのかということは、「どのような人物になるのか」ということを規定することでもあります。子どもに対して学校以外の習い事を選択するのは保護者ですから、自分が守っている子どもに対して「この子には何が向いているのか」、「この子には何が足りないのか」などということを考えて習い事を選択することになるでしょう。

「情操教育」という言葉があるのですが、その言葉は実効力を持っている考え方で、子どもの頃に見たもの、感じたことなどはずっと忘れないものです。子どもの頃に憧れたもの、子どもの頃になりたかったものは、不思議と忘れないもので、その時抱いた「衝動」のようなものが大人になってからの行動を左右することもあるのです。ですから、子どもの頃の習い事は、文字通り「人を作る」ものだ、ということを理解したうえで、選択する必要があるでしょう。

子どもによって適正はさまざまかもしれませんが、その適正が「開花する」ということも十分に考えられます。「そのとき」は、子どもは嫌がったかもしれませんが、少し時間が経ったあとに「やっぱりやる」と、コロっと意見を変えてしまうこともあるでしょう。子どもは不思議なもので、少しのネガティブを大げさに表現したり、大人からは見えない小さなことに対してこだわったりするもので、時に私たちは「子どもはわからない」と感じるものなのです。

どのような習い事でも、その子どもにとっては将来に残るものであることは間違いありません。学校でみんなと同じカリキュラムを学んでいる子どもも、やがてはそれぞれの道を自分で選ぶことになります。その「自分で選ぶ」ということを後押しできるような習い事、「自分はこれが強い、こう生きよう」と、将来に残るような習い事をさせてあげることが、「学校以外で学ばせる意味」なのではないでしょうか。習い事を詰め込みすぎるのもいけないことですし、子どもにも限界はあります。

どのようなことに興味を持っているのか、どのような環境を与えてあげればさらに伸びるのかということを見極めたうえで、習い事を選択してあげたいものです。