習い事で出会うママ友

子どもの習い事には保護者が同伴することが多いものです。平日の昼間や夕方に子どもに習い事をさせている場合、その送迎は主に「母親」の役割になることが多いでしょう。

子どもができると、育児でその時間を奪われてしまう場合も多いものです。そのような場合、なかなか外に出ることも難しく、ずっと自分の子どもの面倒を見ることになります。それはそれで充実した時間ではあるのですが、社会から外れてしまった自分、家族以外の人と交流を持たなくなってしまった自分に、ふと気がつくものです。それは悪いことではなく、しっかりと育児をしていることの証明でもあるのですが、子どもができる前のことを思い出してみると、どれだけ人とコミュニケーションをとらなくなったかを痛感するかもしれません。

そのような方にとって、赤ん坊から成長した子どもとともに、習い事の教室に行くというのは貴重な人とのコミュニケーションの場でもあるのです。週に一回、1時間かもしれませんが、そのような人と接することが出来る場所というものは貴重です。習い事にはさまざまな子どもが集い、その保護者もさまざまです。収入も環境も違う方々が集まるのです。子どもを持つのがはじめての親もいれば、すでに何人も子育てしてきた方もいます。祖父母との二世帯住宅の方もいれば、若い二人が切り盛りしながら家庭を築き上げている場合もあるでしょう。共通しているのは、自分の子どもを育てていて、その子どもに学校の勉強だけではない「なにか」を与えようとしていることです。自分の子どものために予算を割いて、何か将来に役立つようなことを習い事で習得させようとしているということです。

子どもがある程度成長すれば、場所によっては習い事の送迎などは考えなくてもいいのかもしれませんが、場所によってはずっと送迎するものです。そして、中に待合スペースを有している教室である場合は、その授業、レッスンの間待てる場合もあるでしょう。そのようなときに、同じように我が子を待つ方々と仲良くなる機会があります。

人と人の相性などというものはわからないもので、自然と仲良くなれる場合もあれば、なかなか馴染めないということもあるでしょう。こちらの気持ちを汲んでくれる優しい方もいれば、こちらのことなど気にせずに自由に振る舞う方もいることでしょう。さまざまな人がいるのは「社会」の宿命で、そのようなさまざまな方と接するのがコミュニケーションの本質です。

習い事に子どもを通わせるからといって、そのような「ママ友」を作らなければいけないということはないのですが、せっかくの機会ですから自分とは環境が違うだれかのハナシを聞いてみるのもいいかもしれません。そして環境が違っても悩みは一緒であったり、環境が違うからこそ勉強になるハナシだったりがあるものです。積極的に打ち解けることが絶対必要なわけではありませんが、そこに通わなければ出会えなかった方々であることは間違いないのです。