習い事をさせすぎるのもどうか

近頃の子どもはなにかと忙しいものです。学校の授業だけではさまざまなことが「足りない」と 考えた保護者たち、そして少子化によって一人の子どもにかけられる費用が増えていることも、子どもの「習い事環境」の拡大を後押ししています。

近い将来、大学に入学するための勉強は意味がなくなるかもしれません。子どもが少なくなっている現状のままその子どもたちが大学に入学するほどに成長した頃には、「入試で選抜する」ということ自体がナンセンスになっているかもしれません。

そうなると、現在の「教育」はそのカタチを大きく変えることになります。大学入学することが目的であるかのような現在の教育は、将来何の役にも立たなくなってしまうかもしれないのです。現在では主に学校の勉強では「足りない」から塾に通わせるものです。小学生の頃からずっと塾に通い続け、学校の授業を先取りして、試験で良い点数を取るのは当たり前、難関私立の入学試験も受けることができるようにとにかく勉強します。中学生になるとすぐにやってくる高校受験のために各カリキュラムの「絶対に押さえなくてはいけない部分」、試験に出る部分、高校入試に出る部分などをとにかく詰め込み、受験に挑んだものです。そして高校でも同じことの繰り返しです。大学入試の前の一年間というものは、人生で一番勉強する期間だと言われています。誰もが経験する「勉学」によって目標に到達する長くて険しい道程を超え、その後の4年間は一気に開けたキャンパスでの生活を謳歌します。

それが「今まで」の子どもが辿る道でした。誰もが経験する、成長のために必要不可欠な通過儀礼とでもいうべきありふれた学生生活です。ですが、そもそも学生の絶対数が「入試で選抜する」ほどでもなくなってしまう時代がすぐそこまで来ています。これからも「ただ勉強するだけ」では、確実に「ひずみ」が生じることになるでしょう。

これからの時代は「誰もが歩む道」をとりあえず歩かせるのではなく、「その子にあった道」を見つけてあげるということが大切になってくるでしょう。その子が何に適正があるのか、どのようなことに能力を発揮することができるのか、何に興味を持って、どのようなことに「特化」をしていくのかということを、早い段階から保護者が考えてあげることが必要になるでしょう。

それは決して「子どもになんでも習わせる」ということではありません。子どもの時間を習い事のためにただ消費すればいいというわけではありません。子どもが「自分で」、自分はどのようなことに興味があって、どのようなことに向いていて、どのようなことに対して情熱を傾けることができるのかを一緒になってじっくり見極める時間も大切なのです。

「なんでも出来る人」になどはなれるわけがありません。これからは「これだけはとても得意にできる」ということを突き詰めて、非凡な何か、人よりも優れた何かの「武器」を持った人材を育てることが大切なのです。