習い事に通い始める「きっかけ」とは

たくさんの習い事があるなかで、どうしてその習い事を始めることになったのか、どうしてその分野、その道でなければいけなかったのか、同じ習い事を続けている人であれば思い出してもわからなくなっていることもあります。

大人になってからはじめた習い事ではシンプルかもしれません。自分が進みたい道、今背負っている責任に対して、どうしてもそのスキル、知識が必要であったので習得する必要があった、という理由があるとすれば、その習い事はほとんど仕事の延長です。仕事においての自分の伸び幅が、その習い事によって得られる知識やスキルに応じて進展するものなのであれば、その習い事にはとても価値があるのです。その教室、その先生を選んだのは費用的な面で自分が気になったから選んだのか、それとも誰かに薦められたのか、それこそ人それぞれでしょう。

子どもの頃の習い事はこのような「大人」の事情とは少し異なるかもしれません。大人が自分で選んで自分で決めることに対して、子どもは「自分で選ぶ」という権利を持っていません。正確には選ぶことはできるのですが、「決める」ことができません。その習い事をはじめることを「決定」するのは保護者で、お金を払うのも保護者です。子どもは自分がどうしても通いたいとなったら親を説得する必要がありますし、親が納得するような理由を子どもながらに考えることになります。

そのようなときに保護者が判断するのは、「この子は本当にずっと通うつもりなのか、それとも一時的なものなのか」ということでしょう。それを見極めるのが「その習い事を始めたがっている動機」、「その習い事でなければいけない理由」でしょう。それを子どもの主張から汲み取って、本当に通い続けることができるのかどうかを見極めようとするものなのです。

たしかに子どもの主張する理由には「友達が行っているから」であるとか、「自分だけ仲間はずれにされたくないから」などの理由も含まれます。「本当にその道を学びたい」という気持ちだけではないことがあるので、保護者の方も慎重にならざるを得ないのです。子どもが習い事を始めると、その分だけ費用がかさみます。そのような出費はたいしたことがないのが実際であっても、その機会に子どもに「続けること」、「自分で決めたことを曲げないこと」を教えるいい機会かもしれません。

一番良い理由としては、その道、その分野にのめり込んだというものです。興味が深く、その道に関しては時間が経つのを忘れるくらい没頭できるというもの、熱意を持ってそれに取り組むことができるという理由であれば、「行かなくなるかもしれない」、「お金がムダになるかもしれない」という懸念はしなくても済むのです。ですが、それが人に薦められたから、さらには「仕方なく」というような自分の内側とは関係ない部分が起因したキッカケであるのであれば、その習い事はもしかすると長く続かないかもしれません。