習い事に「行きたくない」という気持ち

人は「自由」を望みます。自分の時間は自分のものとして、自由に使いたいと思うものなのです。「習い事」はそのような「自由」を少しだけ束縛するものなのです。

「習い事に行きたくない」という気持ちはそのような心理から産まれてくるものです。自分の時間を奪われている、自分の時間を削っているという気持ちがどこかにあるから、それが「嫌」だと感じるのです。自分の時間は自分だけのものであって、仕事でもないのに人に指図されて動くのは嫌だという気持ちです。

それは大人でも子どもでも変わりません。就学した子どもであれば、「学校は勉強をしなければいけないところ」という脅迫観念に少なからず支配されています。勉強して、友だちとも仲良くして、先生の言うことをしっかり聞いて、テストでもいい点を取って、通知表にはいい成績を書いてもらわなければいけない。成績が悪いと両親に叱られてしまう。そのような強迫観念は学生であることを終えるまで続くものなのです。大人であれば今度は勤め先で自分に課せられた責任のことを考えるようになります。会社で働き始めると学校とは違って「答え」などは簡単に見つからない局面ばかりです。自分がどのようにして生きていくべきなのか、将来のためにはどれくらいの蓄えが必要なのか、それを実現するための「稼ぎ」はいくらくらい必要で、自分の実際はどうなのか、出世するためにはどうしたら良いのかということなどを考えるようになり、それは同時に自分と自分の家族に対する「生きていくための責任」になります。

それらは「ストレス」です。楽しく学校に通っていても、楽しく会社に勤めていても、少なからずそのようなストレスは誰もが感じているものなのです。そのような中で「休みの日」というものはそれらのストレスから一時的に逃れることができる貴重な機会です。心身ともにリフレッシュすることで、自分に課せられたさまざまな責任、さまざまなストレスに対してまた立ち向かえるようにするものが休日です。

そのような自分の自由な時間を削って、習い事をするということは実はとても難しいことです。「行きたくない」という気持ちは、わざわざお金を払って疲れるのは嫌だという「ホンネ」がにじみ出たものなのでしょう。

ですから、そのような気持ちを押し殺すためには、そのような気持ちに打ち克つためには、その習い事に対する「モチベーション」を自分で高める必要があるのです。その習い事が「好きなこと」であったら、もしかするとそのような気持ちは起こらないかもしれません。その習い事が「責任」を伴うものであれば、「行きたくない」と毎回感じるかもしれません。

なぜその習い事に通うようになったのか、なぜその習い事が必要だったのか、最初に感じていた気持ちをまず思い出すことと、その「先」にある自分の姿を想像してみることが必要です。習い事行きたくないのが子どもであるならば、その子にそのような気持ちを思い出させてあげることが必要です。